2006.04.10 Monday
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『肥後藩主細川家の17代目。1940年に近衛首相の秘書官に就任したが、戦後は政界から身を引き、主に文化界で活躍した。戦中や戦後直後の政界中枢の動きを克明に記録した「細川日記」や、「細川幽斎」などの著書がある。』
四国新聞社 香川県ニュース記事より
風貌は特徴的な鼻から「鼻信」とあだ名され、大学校時代には教官のメッケルからヨーロッパ人と間違えられるエピソードがある。また、士官学校教授だった作家の内田百間は「意地の悪そうな顔」とも記している。酒を非常に好み、戦場でも水筒の中に入れ持ち歩いていた。それだけでは足りず、従兵が気を利かせて、従兵の水筒にも酒をつめていた。 かなりのイケメンだったらしい。